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映画『国宝』感動レビュー|吉沢亮×横浜流星が魅せた美しさと狂気が交錯する“命の舞台”

アート

こんにちは、naoです。

先日、話題になっている映画『国宝』を観てきました。

ひとりの歌舞伎役者の50年を描いた壮大な物語で、「命の輝き」や「芸術とは何か」、そして「人が生きるということ」。

そのすべてが心にも体にも響き渡るように、濃密に詰まっていました。

この映画には、3時間という長さをまったく感じさせない、気づけば50年という時の流れを一気に旅してしまったような、不思議な感覚がありました。

めまぐるしくも淡々と進んでいく出来事の連なりと、確かに刻まれていく時間。

その静と動が幾重にも重なり合う世界の中で、観ている私たちの感覚や感性までもが研ぎ澄まされ、夢中で目を凝らしながら、そのすべてを追いかけていました。

舞台に立つ者の、狂気にも似た覚悟。

生きることの苦しさも、死を背負って立つ重さも、血が滲むような努力も。

すべてが、時をも揺らすような圧倒的な存在感となって目の前に迫りくる。

その瞬間、まるで視線を絡め取られたように、目を離すことができませんでした。

『国宝』は、ただの映画じゃない、、!!

命を燃やして芸を極め、運命に翻弄されもがきながらも、それでも自分の意思で宿命をしっかりと掴み取って生を全うする、

そんな生と死の狭間にひそむ、息を呑むような瞬間を突きつけてくる、圧倒的な芸術作品でした。

観終わったあとの静けさの中で、心の奥に言葉にならない感情が残りました。

「生きる」って、なんて苦しくて、それでも心を震わせるほど尊いものなんだろう。

そう思わせる3時間。ただただ、制作陣と俳優たちの圧倒的な表現力に打ちのめされました。

舞台を体験するような3時間

「映画を観た」というより、「舞台を体験した」と言った方が近いかもしれません。

正直、これまで日本映画を観たときに、「あぁ、ちょっと違ったかな」「私には合わなかったかな」と感じることもありました。だから、上映時間が3時間と聞いたときは、最後まで集中できるか少し不安で。

でも、その心配はほんの数分で消えていました。気づけば時間が一瞬で過ぎ、もっとこの世界の舞台を観ていたい、、!!

心の底からそう願っていました。

そして何がすごいって、私が観た時には公開から2ヶ月以上、約3ヶ月近く経っているのに、土曜日のお昼の山形の『国宝』上映回がほぼ満席だったのです。

空席がほぼ見当たらなくて、人がぎっしり。

その光景を目の前にして、「あぁ、みんな“何か”を求めてここに来ているのかな」と心の奥で強く感じました。

吉沢亮さんの“狂気”のすごみ

主演の吉沢亮さんのお芝居は、「美しい」、「かっこいい」、、そんな言葉では到底追いつけない、「得体の知れないすごみ」をまとっていました。

演じることを超えて、役そのものとしてそこに在る。

その姿は、長い年月を歌舞伎役者として生き抜いてきたかのように、全身の細胞が“役の記憶”でできているように見えたのです。

この体感は、この映画に触れた人だけが分かるものだと思います。

横浜流星さんの“熱”と“繊細さ”

そして、横浜流星さん。

彼が演じる大垣俊介の、まっすぐで純粋な優しさ。

その奥に隠された、吉沢亮さんが演じる立花喜久雄への憧れと、どうしようもない悔しさ、羨望。

そのすべてが交じり合った複雑な感情が、苦しいほど、息づくように伝わってきました。

その“人間味”を余すことなく表現できる横浜さんの演技力に、胸を締めつけられる瞬間が何度もありました。

ふたりの演技は、“演じている”という領域を完全に超え、魂がぶつかり合い、スクリーンの外にまで響いてくる。

ふたりが並んだその空気感は、役としても、俳優としても、“ただの共演”では説明できないものがあって。

国宝という物語が描く二人の人間の交差する数奇な縁と、今この時代を生きる吉沢亮さんと横浜流星さん、ふたりの運命が重なり合っているように見えました。

その不思議で神秘的な世界観が、映画全体をさらに特別なものにしていた気がします。

田中泯さんの存在感

そして、田中泯さん。

泯さんが現れた瞬間、スクリーンの向こうの世界が、あらゆる次元を越えてふっと色を変えたように感じました。

言葉にしようとすることさえ、どこか野暮に思えるような。

ただ、そこに“存在する”だけで空気が変わる。

人間国宝を演じていると頭では分かっていても、「そうなのだ」と疑いなく信じてしまう自分がいました。

人間国宝として舞台に立つ、その歌舞伎のシーンは、もう無我夢中で見入ってしまいました。

歌舞伎のことに詳しいわけじゃないのに、目も心も釘付けになって、瞬きするのも惜しいくらいに。

ただ、「すごい」としか言えない。魂が喜ぶって、こういうことなんだと思いました。

あの場面がたっぷり描かれていたのが本当に嬉しくて、「これを生で観たい」「どうかもう一度、舞台で観せてほしい」と強く感じていました。

そして、劇中には名シーンが本当にたくさんあるのですが、その中でも特にお気に入りなのが、喜久雄と竹野がタクシーで万菊さんのもとへ向かう道中のシーン。

あの場面は、もう最高に大好きです!

三浦貴大さん演じる竹野が、「あの婆さん、、いや、じいさんか。」と言うセリフ。

あれがもう、たまらなくて。笑

本当にそうなんですよ。笑

映画の中で、“婆さんにしか見えないじいさん”が見事に生きていました。

また、病床に伏した万菊さんを演じるシーンも、とても印象に残っています。

何がって、、万菊さんが、全然病人には見えないところ!(笑)

ベッドに横たわっているのに、泯さんご自身のエネルギーや生命力があふれ出していて、画面越しでもそれが伝わってくるのです。笑

それでもやはり、泯さんのお芝居は素敵で、素晴らしくて。

そんな泯さんのシーンがたっぷり詰まった『国宝』を観られるなんて、本当に贅沢で幸せな時間でした。

私が泯さんを最初に知ったのは、確か2023年のドラマ『ばらかもん』です。

正直、田中泯さんという俳優に、もっと早く気づきたかったな、と思うくらい悔しいのです。あの作品で心を奪われてからは、完全に大ファンです。

そして今作でも、泯さんの底知れない魅力に、もう一度心を鷲掴みにされた気分になりました。

田中泯さんは、世界的な舞踊家であり、唯一無二の俳優。

80歳を迎えた今も、そこに立つだけで人の心を震わせるあのエネルギーと色気は、言葉ではとても言い表せません。

『国宝』を観ながら、改めて思いました。

田中泯さんって、本当にすごい。

オーラっていうのかな、エネルギーっていうのかな。とにかく、気づけばその魅力に取り憑かれている。心と魂が離せなくなるのです。

「こんな方、まだこの時代にいたんだ、、」と、リアルに同じ時代を生きていることが奇跡みたいに思える方。

“ラッキー”なんて言葉じゃ軽すぎて、足りないのだけど、時空がほんの少し歪んで、たまたま出会えた、、そんな次元を感じさせる方なんです。

私にとっては、それくらい“すごい存在”です。

この映画で、泯さんが演じる歌舞伎を観られたこと、そしてその圧巻の舞台とお芝居をスクリーンで堪能できたことに、心から感謝しています。

作品全体が“ひとつのイキモノ”だった

『国宝』を通して感じたのは、役者もスタッフも、呼吸までが揃ったかのような圧倒的な一体感でした。

3時間の物語が、緻密に積み上げられた熱そのものとして駆け抜け、最後には静かに、しかし確かな余韻を残して終わっていく、、

そんな感覚でした。

井口理さんが放つ、音楽の衝撃

そして最後の最後、エンドロールで流れた井口理さんの歌声。

全身がクァアアアアアッと目醒めるように、魂ごと痺れました!!!!

映画のラストまで揺さぶられ続けた心に届く、あの深く伸びやかな歌声。

まるで映画全体を優しく包み込んで、余韻を心の奥深くまで永遠に閉じ込めてしまうような主題歌でした

井口理という才能は、本当にすごい。

その歌声のひとつひとつが心と身体にすっと入り込み、あの3時間の感動を鮮やかに蘇らせてくれる。

その声が持つ振動とエネルギーに、改めて“音”の力を痛感しました。

波動って、目には見えないけれど

やはり存在しますよね。

歌舞伎が心を震わせる理由

歌舞伎という日本文化のことはもちろん知っていたけれど、実際に触れる機会はあまりなく、「自分には少し遠い世界なのかな」と思っていました。

けれど、この映画を観ながら、「あ、そうじゃないのかもしれない」と感じ、実際の歌舞伎も観に行きたくなりました。

この映画で物語の中心にあるのは、女方(おんながた)という役柄です。

江戸時代、歌舞伎が生まれた当初は女性が舞台に立っていたそうですが、風紀の乱れを理由に女性の出演が禁止され、そこから「女形」という役柄が生まれたのだとか。

男性が女性を演じる、それは、ただ役を切り替えるということではなく、「女性のしなやかさ、優美さ、儚さ」を徹底的に追求し、極限まで昇華された芸術でした。

そんな背景を知ってから見ると、舞台上で放たれるひとつひとつの所作や息遣いが、ただの演技ではなく、“命を宿した表現”としてそこに息づいていることに気づかされます。

歌舞伎が人を惹きつける理由は、きっとここにあるんだと思います。

「完璧な型」と「溢れ出す感情」、その両方が絡み合い、私たちの奥深くに眠る“説明できない感情”を呼び覚ましてくる。

それは、きっと日本人として体の奥に刻まれた記憶や感覚が、静かに息を吹き返す瞬間なのだと思います。

歌舞伎が心を揺さぶる理由、それは、遠い昔から今へと脈々と続く、日本の精神そのものだからなのかもしれません。

芸術が灯す、生きる力

映画を観ていて、ふと思ったのです。

人は誰もが、こうした“魂を震わせる体験”を、どこかで求めているのではないかな、と。

今の日本では、「生きがいが見つからない」「何のために働いているのかわからない」と、心が迷子になってしまう人が増えていると感じます。うつ病やメンタルの不調を抱える人の数も、年々増え続けていて。

それは、誰の心にも積もってしまう、見えない曇りや淀みをふくむ空気が、社会全体に淡く漂っているかのように。

そんな時代だからこそ、仕事に追われて自分を置き去りにしてしまいそうな毎日の中で、ふと触れる「本物の美しさ」や「核心を突く存在」が、どれほど大きな意味を持つのかを強く思います。

それは、生きる力や、「もう一度、明日をがんばろう」という想いに、確かな光を注いでくれるもの。

芸術は、ただ「きれい」「楽しい」で終わるものではなく、心の奥深くに届いて、自分の本心と向き合わせてくれる存在です。

映画『国宝』を観ながら、そのことを何度も強く感じました。

日本人の感性の誇り

実は同じタイミングで、話題の映画『鬼滅の刃 無限城編』も観てきたのです。

あの圧倒的な映像美と熱量、炭治郎や仲間たちの生き様が突き刺さる物語は、日本人だからこそ描ける世界なんだろうな、と胸が熱くなりました。

今回観た『国宝』、そして『鬼滅の刃』。

最近話題の映画2本を観て、改めて思ったのです。

日本人の感性って、本当にすごい。

日本のカルチャーには、目には見えない「心」を伝える力があります。

繊細で、緻密で、情熱的で、でもどこか風情があって。

この美意識は、世界中どこを探しても日本にしかないものだと思います。

私にとって、こうした文化や芸術はただの“好き”ではなく、生き方の軸になるものです。

心が揺れ動く瞬間が、私を私らしく生かし続けてくれています。

そして感動は、生きるためのエネルギー。

芸術や文化に触れることは、その“命のガソリン”を補給するような時間だと思います。

心が疲れていても、何かを見て魂が震える瞬間があれば、また明日を生きていけるのです。

でも、芸術に触れることって、特別なイベントみたいに思われがちだけど、本当はもっと身近なものなのですよね。

美術館に行くとか、舞台を観に行くとか、映画館で最新作を楽しむことだけじゃなく。

朝、カーテン越しに差し込む光を見つめること。

道端の小さな花に気づくこと。

ふと流れてきた曲に、心がふわっと動くこと。

『国宝』を観て映画館を出るとき、日常に散りばめられている、たくさんの「奇跡の原石」の存在を、改めて教えてもらった気がしました。

心を震わせる体験、魂が揺さぶられる時間、そして「生きる」ってなんだろう、「自分の生きがいとは何?」と、立ち止まって考えるきっかけ。

そのすべてが、この映画には詰まっています。

もしまだ観ていない人がいたら、ぜひ劇場でこの体験をしてみてはいかがでしょうか。

これは、ただの映画ではなく、

私たちの日常に、突如出現した歴史的ワンシーンです。

そして、令和を代表する映画だということは間違いないでしょう。

『国宝』は、あなたの心の奥深くに眠る「何か」を呼び覚ましてくれます。

私も、自分の命をもっと楽しみ、生き抜きます!

今日もあなたがあなたであることを、ここに称えて。

さぁ、自分じゃないものを手放し、思いっきり生きて参りましょう。

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命の可能性と美しさを描く抽象画アーティスト

命の可能性と美しさ、心の調和をテーマに、日本文化の精神性と人魚姫の物語から着想を得て作品を制作。2025年は国際カンファレンス「THE WING TOKYO」にて展示・スピーチ参加。6月〜8月、山形の老舗旅館「名月荘」にて宿泊者限定ギャラリー展を開催。Webメディア掲載や、ウィングストンジャパン財団へのコラム寄稿など、社会との対話も広げ、“アートが命を守る手段となりうる”という新しい価値の創造に挑戦している。

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