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古代エジプト展でよみがえる命の記憶──山形美術館で出会う、魂を呼び覚ます祈り

2025.08.18
アート

山形美術館に着いたその日、まず驚いたのは人の多さでした。
駐車場はすでにいっぱいで、近くの霞城公園の駐車場まで案内されるほど。
美術館の前には長い列ができていて、外にまで人の熱気が溢れていました。

「美術館って、こんなに人が集まる場所だったかな?」
その光景に出会ったとき、心がワクワクしました。
山形美術館は、常設展示の作品にもたくさんの魅力があって、私のとても大好きな場所のひとつです。そんな美術館にこれほど多くの人が訪れている──作品や空間に触れようと集う姿を目にすることが、本当に嬉しかったのです。

思い返せば、これほどの賑わいを見たのは2021年に開催された、木梨憲武展「Timing─瞬間の光り─」以来かもしれません。
あのときも会場は熱気に包まれ、作品の前で立ち止まり、驚いたり、喜んだり、ワクワクしながら眺めている人たちの姿がありました。
アートが生活に溶け込み、人々の心を照らす瞬間を、あの時も感じていたと思います。

今回の古代エジプト美術館展も、同じように人々を強く惹きつけていました。
でもそれは、単なる人気イベントだからではなく、、
そこには、人々が無意識に求めている「何か」があるのだと思いました。

「山形のみんな、こんなにエジプトが好きだったの?」
そんな冗談めいた感想を抱きながらも、私自身もその「何か」に惹かれてここに来ている。
そう気づいた瞬間、美術館という空間が一層愛おしく思えました。

棺とミイラが語りかけるもの

展示室に入ると、目に飛び込んできたのはミイラや人型木棺。
その存在感は圧倒的で、単なる「遺物」ではなく、今もなお生きたエネルギーを放っていました。

棺の装飾には、死者が無事に冥界を旅し、再生できるようにと祈りが込められていました。
古代エジプトの棺には、オシリスやアヌビスといった神々、翼を広げた女神(イシスやネフティス)、隼(ホルス)や人頭のバア鳥、スカラベや太陽円盤、そして蓮やパピルスの文様など、死者の再生と保護を願う図像が描かれることがあります。
それらはどれも「生と死をつなぐアート」として、大切に表現されていたのです。

古代エジプト人にとって、死は終わりではなく新しい旅の始まりでした。
《肉体は滅んでも魂は永遠に生きる》、そう信じたからこそ、ミイラを残し、棺を美しく飾ったのです。

ツタンカーメンの小さな指輪を目にしたときも、同じことを感じました。
一見ただの装飾品に見えるその指輪は、王の存在を象徴し、祈りと権威の象徴でもあった。
小さな造形物であっても、アートには「存在そのものを証明する力」が宿っているのです。

そして、そのアートには「命の証」としての響きが込められている。
数千年を超えてなお、《ここに確かに命があった》、そんな魂の叫びのような力が、今の私たちに届いているのです。
まるで時間を超えて交わされる対話のように。

神話が教えてくれる死と再生の思想

展示を見ながら、私はエジプト神話のいくつかを思い出しました。

たとえば、オシリス神話。
冥界の王オシリスは弟に殺されても、妻イシスの愛と祈りによって蘇り、死者の審判者となったのです。
「死んでも終わりではない。魂は愛と祈りによって再生する」
その象徴として語り継がれてきた物語。

この物語が伝えているのは、ただの慰めではなく、命の存在の深さそのもの。
肉体は滅んでも、魂は永遠に生き続ける。
そう信じる力こそが、古代の人々にとっての希望であり、今を生きる私たちにとっても「命の意義」を思い出させてくれるのです。

そして太陽神ラーの旅。
ラーは昼は空を舟で渡り、夜は冥界を航行し、翌朝また昇る。
昼と夜を繰り返し、光と闇を往復しながら、永遠に世界を支えている。
その思想は「闇の後には必ず光が来る」という希望の物語でもあります。

また、「死者の書」に描かれる審判の場面。
死者はオシリスの前に立ち、心臓を天秤にかけられます。
もし真理の羽よりも軽ければ、魂は永遠に生きられる。
けれど重ければ滅びてしまう。

その寓話は、現代に生きる私たちにも問いかけてきます。
「あなたの心は、今どれだけ軽やかですか?」
「あなたの生き方は、魂を輝かせていますか?」

古代エジプトの神話やアートは、単なる過去の文化財ではなく、今を生きる私たちに問いかけ続ける存在なのかもしれません。
そしてそこにこそ、アートの存在意義があります。

なぜ人は古代エジプト展に惹かれるのか

会場を歩きながら、ふと考えました。
「なぜこんなに多くの人が古代エジプトに惹かれているのだろう?

もちろん、ツタンカーメンやミイラといった“わかりやすい見どころ”があるからという理由もあると思います。
けれど、それだけでは説明しきれない強い吸引力があった、
そしてそれはおそらく、古代エジプトが放つ神秘的な力だったのでしょう。

古代エジプト人は、太陽の運行に合わせて神殿を建て、死後の世界の旅路を壁画に描き、日常の器にさえ祈りを込めました。
そこには「生きる意味」「死の先にあるもの」への探究心が結晶していて、だからこそ私たちは心を動かされるのかもしれません。

現代社会は、効率や合理性ばかりが重んじられ、心が置き去りにされがちです。
だからこそ人々は無意識に、“心を整える時間”や“自分をリセットする感覚”を求めているのだと思います。
最近、占いやスピリチュアルの値段が以前より少し高くなっていると聞きました。
それだけ需要が高まっているからこそであり、人々の心がそうしたものを必要としている表れなのかもしれません

古代エジプト展に足を運んだ人たちは、ただ知識を得に来たのではなく、
むしろ「自分の心を思い出すため」にここに来たのだと感じました。

アートの存在意義を考える

展示を見ながら、私はアーティストとしての自分自身の在り方を重ねずにはいられませんでした。

古代エジプトの棺や壁画は、人々の祈りを未来に託すために描かれたもの。
そこには「自分の命の存在意義」への問いかけや願い、他者へのまなざしや愛を分かち合いたいという想いも込められていたのだと思います。
《命をどう生きるのか》
自分の存在を見つめ、生きることそのものを尋ねられるような力を感じました。

現代に生きる私たちにとっても、アートの意味は変わりません。
アートは、言葉では表せない想いを形にするもの。
心の奥に眠る感情を解き放ち、誰かと分かち合うことで、『生きる』という営みをそっと照らしてくれるもの。

よく「アートは生活必需品ではない」と言われますが、私は、そうは思いません。

アートは、目に見えないけれど、人の心を動かしてくれます。その存在は心を「今、この瞬間」に戻して、《自分》を感じさせてくれる。私たちのエネルギーを調律してくれるのです。

現代はあふれる情報やめまぐるしいスピードの中で、心の調子は少しずつ乱れ、自分を感じる感覚を見失ってしまいがちです。
だからこそ、感情を解き放ち整えてくれるアートは必要なのです。

古代エジプト展を通して、私は改めて「アートは暮らしに必要だ」と強く感じました。

美術館で交わされるエネルギー

会場を歩きながら感じたのは、展示物と人とのあいだに流れる目には見えない不思議なエネルギーでした。

棺をじっと見つめていると、その背後に広がる景色や、当時の人々の想いが伝わってくるようで、自分の中に新しい問いが生まれる。
装飾品や化粧容器を見れば、数千年前の誰かの願いがよみがえり、そのエネルギーと今の自分が共鳴する。

これは単なる鑑賞体験ではなく、エネルギー交換の場なのだと感じました。
展示物から受け取る力があると同時に、私たちもそこに自分の想いを投影している。
だからこそ、会場を後にする人々の顔には、それぞれの想いを胸に抱くような表情が浮かんでいたのでしょう。

その表情を見て、私は、
人はみな、この美術館で「自分だけの宝物」を見つけて、持ち帰っているのだと思いました。

それは言葉にならないものかもしれません。
けれど確実に、自分の中で静かに光を放ち始め、生きる力を呼び覚ます。
美術館やアートには、そんな力が宿っているのです。

結び──アートは未来を照らす光

古代エジプト展を後にしたあと、娘と一緒に公園の帰り道をゆっくり歩いていました。
歩きながら、さっきまで見てきた棺やミイラ、壁画や装飾品のことを思い返していました。
それらが放つエネルギーは、数千年という時間を越えて、確かに今の私たちの心を揺さぶっていたのです。

そのとき、胸の奥から浮かんできた想いがあります。

古代エジプトの展示品の数々は、ただ過去を保存したものではなく、《今を生きる私たちへのメッセージだった》ということ。
そして、日本の八百万の神という概念があるように、エネルギーは万物に宿り、時を超えて生き続ける。それをまさに、体感した1日になりました。

古代エジプト人が祈りを、壁画や装飾品、アートに込めたように、私もまた絵を描くとき、同じように沢山の想いを込めています。
「これを見た人が、自分の命の光を思い出せますように」
人生は、自分の中の喜びに出会う旅だから。
あなたが、あなたで在れますようにと、願いを込めて。

展覧会で出会った人々の姿がとても印象的でした。
棺の前でじっと立ち止まり、静かに見入る人。
装飾品の細やかな模様に目を凝らしている人。
展示解説に視線を走らせながら、何度も作品を見直す人。

彼らはきっと、それぞれの心に光を見つけたはずです。
それは知識や情報を得ること以上に、素晴らしい体験だったのではないでしょうか。

そしてそれこそが、美術館の存在意義。
展示物やアートはただの鑑賞対象ではなく、私たちの心をひらく鍵であり、その先の人生を照らす、ひとつの道しるべなのです。

あなたの中に眠るアートへ

今回の山形美術館「古代エジプト美術館展」は、木梨憲武展以来の賑わいを見せていました。
駐車場があふれ、人が列を作り、それでも多くの人が足を運んだのはなぜか。

それは、古代エジプトという文明が放つ圧倒的で神秘的な力、そして、自分が自分としてこの世界に存在しているということを、今一度思い出すような、「心の安らぎ」を求める現代人の精神的欲求が重なったからではないでしょうか。

展示されたミイラや棺、壁画や装飾品は、ただの歴史的遺物ではなく、人々が生きた証としての過去から現代人への贈り物。
オシリス神話やラーの旅、「死者の書」に描かれた死生観は、今を生きる私たちにも問いかけを投げかけてきます。

人々はこの展覧会で、自分の中に眠っていた命の光に気付き、
そしてそれは、一人ひとりの「未来を生きる力」として心に残ったはずです。

美術館を訪れることは、自分の命を深呼吸させ、明日を歩むための灯りをそっと受け取ること。
それは、日々を生きるために欠かせないもの。
心を養い、魂を支えるものなのです。

私も一人のアーティストとして、この確信をこれからも描き続けたいと思います。
アートに触れることで、自分自身の命の可能性や美しさを思い出す人が増えてほしい。
美術館での体験がそうであったように、アートが時を越えてあなたの心に寄り添い、これから歩む道にやさしい光を添えてくれますように。

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命の可能性と美しさを描く抽象画アーティスト

命の可能性と美しさ、心の調和をテーマに、日本文化の精神性と人魚姫の物語から着想を得て作品を制作。2025年は国際カンファレンス「THE WING TOKYO」にて展示・スピーチ参加。6月〜8月、山形の老舗旅館「名月荘」にて宿泊者限定ギャラリー展を開催。Webメディア掲載や、ウィングストンジャパン財団へのコラム寄稿など、社会との対話も広げ、“アートが命を守る手段となりうる”という新しい価値の創造に挑戦している。

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